終息の宣言もなく収束しお国サッサと店しまいけり 風 鈴 誰よりもコロナ疲れはお国なり 風 鈴 ウイルスがにんまりほほえむ5類下げ 風 鈴 5類下げ今が一番危険なり 風 鈴 5類下げマスクますますはずせない 風 鈴 たがゆるむ電車もバスも咳だらけ 風 鈴 ウイルスが俺をなめるな日本に 風 鈴
プーチンに日本の憲法ささげたし 風 鈴
今日は日本国憲法施行76周年である。ある意味で、これまで生きてきた私の人生そのもの期間でもある。76年間、日本は、戦争のないい時代に生きてきたと思います。日本国憲法に感謝です。
日本国憲法は、日本が、世界に誇れる規範、文化の唯一のものと言っても過言ではないかと私は思っています。ここに日本国憲法前文の一部を抜粋いたします。
「・・・・・・・・・・・。われらは全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ平和のちに生存する権利を有することを確認する。われらはいづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって政治道徳の法則は普遍的なものでありこの法則に従ふことは自国の主権を維持し他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は国家の名誉かけ全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。・・・・・・・・・・・・・・・。」と。そして、第9条第一項(戦争の放棄)へと続くのである。
人類は人類と言われるようになってこのかた戦の絶えることはなかった。
かって、猿人は二足歩行により両手が自由になった。それにより、猿人は、やがて能を徐々に進化させ、簡単な道具を創るようになった。それに伴い猿人の脳はさらに進化していく。そして道具(最初は生産手段としてやがてそれが武器として、人類同士に向けられていく)の生産もさらに進化して行った。こうした繰り返しにより猿人はついに人類となったが、これは人類が生まれながらにして戦をする生き物として運命づけられたことを意味する。こんな生き物はこの地球上で、人類しかいない。
人類は生まれながらにして戦をする生き物として、こんにちもこれからも、生きていかなければならないだろう。こうして人類は戦をする生き物であるけれどもと同時に、人類の脳の進化は、一方で戦の悲惨さも感じ取る生き物(平和な暮らしを求める)として進化をとげていく。だからこれまで人類は生き延びられてきたのであろう。人類と呼ばれるようになってから数百万年、ひたすら戦の歴史を繰り返してきた人類は、ようやく国連憲章なり、日本国憲法なりの平和な道筋を求めるところまでたどり着くことができた。
ところが戦後、アメリカが世界の警察官として、ベトナム戦争、イラク戦争等々、そして今日またプーチンが、世界中がコロナ禍にもかかわらず、ウクライナに侵攻し、世界を大混乱に陥れました。どうやら人類は、「戦争と平和」をたえず繰り返しながら進化していく生き物のようである。人類の運命は、いずれ天変地異によってか、大規模な原発事故ないし大核戦争等によって自滅する可能性すらあると思います。それでもやがて生命の星この地球は、新たな生命の地球史をむかえることでしょう。生命の星地球にとって人類は、恐竜のようにある一時点の生き物のようではないだろうか。
原発忌歴史はいつもヨーロッパ 風 鈴
このところ何年も、新型コロナウイルスやロシアの戦争によるエネルギー、食糧危機、経済不況等で巷は重苦しいニュースばかりで気持ちもふさぎがちだった。ところがドイツ政府が、2023年4月15日、全原発停止を実現したというニュースが流されました。ひさしぶりに気分が晴れた思いです。人間の歴史はこの地球にとって悪いことばかりではない、たまにはいいこともあるんだと思った。そしていつも人間の歴史の変革はヨーロッパから始まるのだなあとの思いを強くした。 原発がなぜいけないのか「それは人類がいまだに原発をコントロールできない代物だからです。」福島原発事故のデブリの小さじスプーンの一杯さえも搬出できない現状をみればあきらかです。未だにふるさとに帰ることもできないおおくの住民のいること、そして毎日毎日発生する汚染水をついに海に放出するしかないところまで追い込まれています。 とっさできた川柳か゛「原発忌歴史はいつもヨーロッパ」です。 汚染水龍宮城に降りしきる 風 鈴 太陽が俺を使えと人類に 風 鈴 原発は危険汚い高価格 風 鈴
たがゆるむ電車もバスも咳だらけ 風 鈴
また処分ますます卵が高くなる 風 鈴 もう少し人類は生き物たちの生命の尊厳を考慮すべきではないでしょうか。一網打尽ではなく、選別作業を惜しまぬ努力をしてほしいものです。こんな事を続けていればいつの日か彼らがウイルス発症の原因となって地上に這いい出て、人類に襲い掛かってくることでしょう。
制裁だますます平和が遠くなる 風 鈴 制裁をしている国々の過去の歴史のおぞましい行為を忘れていないか。
汚染水龍宮城に降りしきる 風 鈴 ウイルス禍行政サッサと店じまい 風 鈴 ウイルスが俺をなめるな日本に 風 鈴 ウクライナばかりがこの世の闇ならず 風 鈴 ウクライナ大本営はBBC 風 鈴 ジェレンスキーひとのふんどし借りまくり 風 鈴
いつの世も神を仏をくいものに 風 鈴
9条は世界の誇り人類の 風 鈴 軍拡に復興税をかすめ取る 風 鈴 ウイルスが俺をなめるな日本に 風 鈴 ウイルスを自由気ままの野放しに 風 鈴 ウイルスが 9波10波を予告する 風 鈴
汚染水龍宮城に降りしきる 風 鈴
汚染水海に流して流れたと 風 鈴 汚染水海に流すは悲願なり 風 鈴 汚染水龍宮城に降りしきる 風 鈴 原発は金金金の金まみれ 風 鈴 原発は危険汚いコスト高 風 鈴 原発にこだわるわけのその裏は 風 鈴 いつの日か人類滅亡原発で 風 鈴 原発はマグマの上で稼働する 風 鈴 再稼働安全ばかりを絶叫す 風 鈴 原子力緩和委員会改称す 風 鈴 妖怪が深く静かに身をひそめ 風 鈴 安全と言われて帰る人もなし 風 鈴 太陽が俺を使えと人類に 風 鈴 ロボットでデブリ操作もままならぬ 風 鈴 「原発」がなぜいけないのか。それは人類が未だ「原発」をコントロールできていないからです。
ウイルスを撃滅せん滅どこへやら 風 鈴
新型コロナウイルス発症年の2020年に、人類はウイルスをすぐにでも撃滅せん滅せんと勇ましく息巻いていました。それがどうであろうかウイルス禍はなんと3年も続き、4年目となる第8波に突入しました。そして今だに収束の兆しも見えません。 このウイルス禍は結局、集団免疫による収束しかないのではないか。そうすると、まだまだ大波、小波と来年も続くことになるでしょう。 ウイルスに両手をあげて降参す 風 鈴 過去最多今じゃないでしょ無制限 風 鈴 ウイルスが俺をなめるな人類に 風 鈴
この間人類は一度も一つになれず、WHOは講釈、解釈ばかりで、その存在意義を問われています。そしてロシアはコロナ禍にもかかわらず戦争まで引き起こした。世界はコロナ禍にくわえ、エネルギー危機、食料危機、戦争の拡大の危機に直面しています。
私達はすごい時代に生きいます。これはいつまでも人類の歴史にきっときざまれることでしょう。しかし、これから大切なことは、私達はこの大きな大河の流れに流されつつも、自分の立ち位置を見失わないないことではないでしょうか。
コロナ禍によくも戦をプーチン禍 風 鈴
まもなく苦節、四年目となろうとしているコロナ禍に、プーチン露大統領は戦争をしかけました。温暖化の災害に加え、人類もすべての生き物も、まさに二重苦、三重苦にあえいでいます。私たちの生活はもう防戦一方でなすすべもありません。そのなかで、気にかかることを川柳にしてみました。 ウクライナ(の)被害ばかりを垂れ流す 風 鈴 今の世界ではウクライナ以外でも戦争の災禍は絶えません。 プーチン禍これ幸いと軍拡化 風 鈴 プーチンの在庫一掃ミサイル禍 風 鈴 ウイルスにミサイル打ち込む国もあり 風 鈴 論客の言ってるように世はならじ 風 鈴 マスコミの出所は同じ大本営 風 鈴 マスコミの飼いならされた猿となり 風 鈴
打つ手なくなりゆきまかせの第八波 風 鈴
打つ手なくなりゆきまかせの第八波 風 鈴 2020年の新型コロナウイルスの発症の初期に戻ってしまったようです。その時より、今の時期のが危険のように感じます。三年目のコロナなれとコロナ疲れで世の中が、もういい加減にしろという感じです。しかし、国や行政は何時でも、医療ひっ迫を起こしてはなりません。
行政は早くも、自宅療養ありきのかまえです。これではまた、これまでと同じ様に、どたばた劇の繰り返しを見ることになるのでしょう。態勢に流されないように、これからも、自分の身、家族の身を守らなければならないと思います。コロナが収束するまで、これまでと同じように皆さんに義理を欠くことになるかもしれませんが、🙇ご免んなさい。
久しぶりコロナ 一面記事となり 風 鈴 ウイルスが俺をなめるな日本に 風 鈴 波ごとにワクチン打って効いてるの 風 鈴 第八波自宅療養はじめから 風 鈴 ウイルスが自宅療養ありえぬと 風 鈴 観光でコロナ手みやげ帰国する 風 鈴
梶原景時の失脚
梶原景時は源頼朝が旗挙げしたとき、平家方の敵であったが、洞穴に隠れていた頼朝を見逃して、後に頼朝の側近となり、できたばかりの鎌倉幕府を支えた人物である。
景時は、鎌倉幕府の侍所の別当(御家人の統率・警察・軍事司令部)になったり、戦ともなれば戦奉行・戦目付・軍監となり、頼朝の手足となって働いた。いつも頼朝の意向をくみ取り、厳格にして誠実な政務に携わった。だから他の御家人にとっては怖い怖い存在となった。この人の諫言によって、多くの御家人がその地位を追われている。後世の石田三成のような人ですね。
有名なのが源義経の追放です。軍目付として梶原景時は平家との戦において、義経の戦の非凡さをみとめながらも、義経の戦における勝手なふるまいが多く、また、兄頼朝の承諾もなく朝廷より官位をうけたり任官したことを頼朝に報告した。これにより義経は鎌倉に帰ることも許されず、やがて追補されることになり、奥州にて死することになる。
義経追放により、景時は御家人の間でもひどく評判を悪する。しかし、本当のところは頼朝の意向であり、所詮、腹違いの弟であり、頼朝にとって用が済めば、いつか義経を処分するのは既定路線だったようです。だからこれは義経の不用心というほかない。賢さもほどほどにして、肉親の兄といえども安心して心身をさらけ出してはいけなかったのだ。
武士の世を磐石にするという志を半ばにして頼朝は倒れた。景時は頼朝の死後、二代将軍頼家の後見人となったが、景時の威勢もここまでであった。景時もまた武士の世を磐石にするという頼朝の志をともにしながら、道半ばにして、多くの御家人の讒言により、鎌倉を追放されることになってしまったのだ。
梶原景時みたいな人、今でも役所や会社、地域にも、ときどき見かけますよね。自分の力というよりも後ろ楯をいいことに正義を振りかざすひと、今風パワハラをする人。 後ろ盾失くせばただの一人なり 風 鈴
