大竹は引退か❔

関東ハーモニカハーモニカリーグ2022NO.126号に「初めてのホルンハーモニカ講習会アンケート」の一文に「大竹先生が引退され・・・・・」なんて記載されましたので、私本人から訂正させていただきます。どこでどう誤解されて、伝わったか解りませんが、私は引退したのではなく、家庭の事情とコロナ禍にあって、一時的に対外活動を、暫くの間中止しているにすぎません。よろしくお願いいたします。

二つのフレイルによる心身衰弱・不調

二つのフレイル。一つはコロナ禍ですね。もう一つはロシアの戦争てす。フレイルとは「か弱さ」、「こわれやすさ」、「虚弱」という意味のようです。体力と気力をなくしてしまうと、一気にフレイルサイクルにはまってしまうとのことです。疾病と老化、孤立、うつ、生活不安などがその要因ですが、ここでコロナ禍とロシアの戦争が加わり、私たちの生活に暗い暗い影が覆いかぶさってきました。今年こそは世界のコロナ禍の収束の希望がみえた矢先に、ロシアの戦争は私たちの生活、心身に、ダメージの追い打ちをかけるようなものです。これが世界なんだ、これが人間のすることなんだと思わざるをえません。

 

太陽が俺を使えと人類に   風 鈴

ドンパチが始まってしまった。まだ世界中でコロナの猛威が続いているのに。         ウイルスもビックリ仰天あきれ果て 風 鈴

エネルギー危機が叫ばれています。もう何時までも化石燃料にたよっているのではなく、風力エネルギー、太陽光発電システム等々に切り替えてはどうでしょうか。原発はコストも膨大であり、未だ人類がコントロール出来ていないしろものだ。今回のウクライナ戦争を見ても明らかなように、戦略的にも危険ですね。

それにしても、この地球上の何処かで、人類による戦争や、殺し合いの絶えたことがない。なぜだろうか。それは人類進化の発祥までさかのぼる。人類が樹木から地上に降りて直立二足歩行を始めて、手が自由になった。それと共に、脳も発達させて生きるための道具を発明、使用するようになった。最初は狩猟や農耕のためであった。ありあわせの石、棒切れ、やがて手を加えた石器、さらに弓、やり、斧、鍬等々ドンドン精巧なものを発明、それにより生産力も発達させた。そして、やがて人類は他の動物と同じように食物をめぐる縄張り争い、群れ同士の衝突を繰り返すようになる。それに、これらの道具が利用されるようになる。戦のはじまりである。まさしく人類700万の歴史は戦争の歴史でもある。

他の動物では同種同士では殺し合うことはほとんど無い。自分の持ち合わせている武器でのみ、縄張りから追っ払うか、威嚇してほとんどが決着する。ところが人類だけが殺人道具(武器)を生産するようになり、人類が互いに殺し合う宿業、宿命を持つことになってしまった。そして今では人類滅亡さえ危ぶまれる核兵器を手にするようになった。国家という縄張り、群れが解消しないぎり、残念ながらこれからも、人類は互いに戦い続けることでしょう。今だ人類は、脳の進化の過程(精神的に未発達、未熟)にあり、幾百千万年後のいつの日か人類が精神的に一つになるときまで待たなければならないことでしょう。それでも、核兵器廃絶の動き、日本国憲法前文、戦争の放棄、国連憲章前文などは人類の行く先の希望を示している思う。

 

 

 

 

 

 

戦国三人の茶人

戦国の茶人といえば、千利休、古田織部、小堀遠州、他、何人かか゛いる。茶の湯を政治に取り込んだのは織田信長である。彼は茶会を独占し、手がらを立てた家臣等に茶器を与えたり、茶会を催す資格を与えたりした。戦国時代の大名、武将にとって、茶会はやがて政治的な社交の場となっていく。そうした中で、千利休、古田織部、小堀遠州の茶の大師匠たちが忙しく活躍していく。特にこの三人はそれぞれの茶の湯の芸術を際立出せて、それは今日の茶の湯に受け継がれてゆく。

しかし、この三人の茶人の生き方はそれぞれ、劇的なものである。千利休は秀吉に接近し、茶の師匠であるとともに政治顧問となるほどの地位まで上り詰める。しかし、大徳寺の山門の上階に自分の等身大の木立像が置かれた。この山門は時には朝廷や秀吉も潜るものでもあった。そこを無礼千万であると石田三成らに揚げ足を取られた。そのほか、朝鮮侵攻についての秀吉との齟齬、利休の娘の側室への拒否、利休の茶道具の高額な売り付け等々の理由により、切腹の責めを負うことになった。利休の名望を常々疎ましく思っていた秀吉の側近たちにとって、大徳寺木立像の事件は、利休追い落としの絶好の機会となった。これは利休の油断とあまりにも利休が政治に深入りし過ぎた結果ではなかろうか。

利休の七哲と言われた古田織部はどうか。この人は小大名であった。あの織部焼で有名な茶人である。利休亡き後、秀吉そして関ヶ原合戦後は、徳川家の茶の湯の師匠となった。織部は豊臣家と徳川家とが険悪となると、両者の仲介に努めた。子息をそれぞれの家の小姓にあげた。織部を師匠とする大名の多さに、徳川幕府はやがて織部を危険視する。そんな折、大阪夏の陣の最中、古田織部の陪臣が、家康暗殺の計画に加担したことが露呈する。この結果、古田織部とその子息らに切腹の命がくだった。織部自身は知らなかったようです。が、知らなかったでは済まされないと観念した織部は、一言の弁明もなく処分にしたがった。古田家はお家断絶に追い込まれた。これも織部の油断・慢心と織部が自分の足元をどこに置くべきかを見誤った結果ではなかろうか。

小堀遠州も小大名であった。古田織部を茶の師匠とした。この人は、千利休や古田織部の生きざまをみて、両、茶の湯の師匠の轍を踏むまいとして、茶庭造りや幕府の茶の湯の指導に専念した。大名たちの茶の湯の指導や茶庭造りを最小限にとどめ、政務に深く関わることを戒めた。遠州は、普段は幕府の各地の作事奉行をつとめた。その後、小堀遠州はその文化的教養をかわれて、朝廷との行事にもかかわる京都伏見奉行に抜擢された。権謀術数の限りの戦国時代を潜り抜け、「綺麗寂び」の茶の湯の道を極めた小堀遠州。遠州を主人公にした小説には、「孤蓬のひと」(作者 葉室 麟)がある。今まさに私は、「孤蓬のひと」を読み始めたばかりである。

コロナオミクロン禍にあって、おなじ過ちを繰り返しているお上のコロナ対策。50万といわれる自宅療養とまたしても医療ひっ迫。もうウンザリですネ。自分の身は自分で守るしかない。そう思います。コロナウイルスからなんとしても逃げきらなければならない。ウイルスにおびえて、家にチヂミこんでいる私のなんと滑稽なことか。                                     ウイルスが笑っているよ人類を   風 鈴

今日はちょうどNHKにて、知恵泉選にて「古田織部」の番組があった。

映画 関ヶ原 ふたたび

一度見たことのある映画「関ケ原」をこんどはテレビで見ることができた。いつも思うのですが、石田三成のことを正義のひと、義、忠臣とか清涼の士、清香のひと、股肱の臣とかいろいろと形容されている。そうゆう人がなぜ戦に負けてしまったのだろうか。一般的には小早川秀秋の裏切りにより負けたのだといわれている。しかし、小早川秀秋軍は、裏切りではなく開戦と同時に西軍になだれ込んだものだとする歴史研究者もいるのです。何よりも、家康さんとの人間的スケールの違いではなかったのだろうか。

私はこのコロナ禍で、歴史の転換期となった事件、本能寺の変、関ケ原、明治維新、そして、日本の敗戦など、特に、戦国ものを何十冊とネットで購入して読んできた。石田三成に関連するものだけで20冊以上よみあさった。で思ったことは、「このひとは、結局、豊臣政権のことをいちばんおもいながらも、豊臣政権をいちばんはやく潰してしまったひとなんだ」ということです。人間、戦国時代の人だって個人的には「五欲」で生きていたことでしょう。豊臣のためといいながらも、自分の五欲のためでもなかったか。高台院様(寧々様)の言うように「しばし待て・・・・時が来ればまた奉行に復帰できょうに」との助言を聞き入れず血気に走ってしまった石田三成。この「時を待つ」という言葉は私たちの生活の中でもあらゆる分野でも、いつも選択を要求されていますね。

ウイルスが自宅療養ありえぬと 風 鈴

行政が第5波の教訓を忘れて、再び「自宅療養」はじめようとしている。なぜ、行政はこんな愚策を繰り返すのか。ようは、きわめて安上がりな政策だからだ。「自宅療養」で、ろくな医療も受けられず死んでいくのは個人であって、行政にとって痛くも痒くもない。行政としては医療ひっ迫で仕方がなかったと言えばすむのだ。しかし、第6波はこんな言い訳が通用するのだろうか。

日本の健康保険制度は病気になったら、誰でも医療機関にて「治療」が受けられるのを大大原則としている。しかし、「自宅療養」は行政の医療放棄であり、また医療放置ともいえます。そして家族感染等の市中感染の温床ともなります。コロナ陽性者になったら、誰でも医療機関にて「治療」が受けられるにしてほしいものです。ではどうするか。臨時のコロナ専門病院ないし野戦病院を各県に設置して、コロナ治療の専門化と集約化を図っていくことことです。

 

 

 

 

今年一年

今年一年も「ウイルス」に翻弄された一年でした。                     オミクロンジワリヒタヒタドット来る   風 鈴                      ワクチンをヒラリサラリと潜り抜け    風 鈴

今年は、私にとっても大きな節目となる一年でした。年初より、義兄の介護をすることになった。また昨年亡くなった義弟の相続手続き、納税手続き等々結構年初からあちこちと走り回った。コロナ禍もあって、手間のかかるなかなか難しい手続きとなってしまった。

また、私たち夫婦も病院から、数年前から、かなり重度の糖尿病だと言われて、年初から毎月の病院通いを余儀なくされている。家内には、糖尿病からくる様々な症状も現れてきた。エライコッチャー。これからは家内を一人にはさせられないなあ。

また、コロナ禍を機として、三月三十一日をもって、本業の仕事にも見切りをつけた。やり切ったとはいえませんが、42年間、大過なくやってこられて、それだけでもなによりだった。

ついでではないですが、三サークルのホルン系ハーモニカのインストラクターもおろさせてもらった。もう、私がいなくても基本的なことは繰り返し伝えたつもりです。私のDVDテキストも活用してほしい。皆さんには突然で申し訳ないけれども、これからは自立していってほしいです。機会がおとずれることがあれば、私もまた、ソロ活動を再会するつもりです。

これからは、これまでの人生の物的にも、精神的にも整理をしていこうと思います。失礼になるかもしれませんが、断捨離をすすめていくつもりです。山ほど積もった二軒分の家の物々の整理をすすめていかなければならない。今しかない。

まだまだ認知症になるわけにはいかないので、毎日、脳トレ(川柳、ウクレレと歌声、書道等)だけは欠かさないようやっていくつもりです。

今年は、義兄の介護に始まり、義兄の介護に終わった。一人の人間が生きていくためにはこんなに多くの人のお世話になるものなのかと思った。スタッフの皆さんに感謝申し上げます。

 

 

 

ウイルスが油断するなと日本に    風鈴

このところの日本のコロナ感染者数が急減していることに驚くばかりです。行政は、ワクチンの効果だというが、いや、ウイルスが変異し自滅しだしたという識者もいる。そして、日本は集団免疫を獲得したという意見など、諸説紛々としています。

巷はあたかもウイルスの収束を迎えたかのように解放感に満ちています。しかし、西欧諸国、ロシアでは、コロナ感染がぶり返しております。このまま日本だけがコロナ収束感にひたっていられるのであろうか。このままではいかないだろう。6波は必ず来るというのがおおかたの見方だ。そうだとするなら、あの5波のときのように悲惨な「自宅療養」などという愚策だけは繰り返してはならないと思います。                  ウイルスが自宅療養ありえぬと   風 鈴                         ウイルスも休みたくなり夏の陣   風 鈴                         ウイルスが油断するなと日本に   風 鈴

 

人生の整理

コロナ禍にあって最近は我が身が絶対に感染してはいけない立場であることを痛感した。それで私は、一層我が家から外に出ることを最低限必要なこと(病院、コンビニ決済、スーパー、家内の義兄の介護、金融機関、役所)に限ってしまった。万一私が、コロナに感染してしまったら、家内の介護と義兄の介護はどうなるのであろうか、濃厚接触者になったら等々、親族の少ない両家は崩壊することでしょう。それを思うと私が絶対に感染してはならないことをさとった次第です。

もうこうなったら、義理を欠くことになっても、ほとんどの対外関係を整理する必要があると思う。このコロナ禍を区切りとして、両家の断捨離と私の人生の整理をしていこうと思います。

病院から夫婦ともに重度の糖尿病という得体の知れない病名を付けられた手前、これから、自分と家内の身体こともじっくり考えてみようと思います。目が見えなくなり、耳が聞こえなくなり、認知症状の悪化が目立つようになり、歯が悪くなりるのも、そして心筋梗塞、脳梗塞等も、どうも糖尿病の症状の現れという。糖尿病というから、切迫感がない。いっそのこと「糖血病」といった方が切迫感があると思います。左の表を見ると全身病だな。

 

ワクチンに右向け右の大号令    風 鈴

秋だ

宣言・蔓延が解除されて、全面的にとはいかないけれども、飲食店・居酒屋に活気が戻ってきました。しかし、このまま続くかどうかわからない。それでも、飲食店・居酒屋が、アルコールを提供できるようになったことは喜ばしい。

新宿ホルン系ハーモニカの皆さんがいつも練習後に寄っていたあの高田馬場の居酒屋はどうしていることだろうか。私が毎回楽しみに注文していた「鶏のから揚げ」は美味かったなあ。見た目は悪

皮付鶏の唐揚げ うまい

いが、大きくて熱くてパリパリして春巻きのようだった。

それにしても、ワクチン圧力が日に日に強まっているように感じます。今やマスコミがワクチン接種の旗振り役を務めているようです。                           ワクチンのいいことばかり吹奏す     風 鈴          ウイルスもオリ・パラ疲れ夏休み     風 鈴

自由を標榜するアメリカでは、未接種者に対して、役所や企業が「解雇」までするようになり、なりふり構わぬあきれ果てた行状だ。ワクチンを接種するかどうかはその人個人の自由であることは自明の理であるはずだ。私は、反ワクチンではなく、日本の塩野義製薬のワクチンができるまで待とうとおもいます。ワクチン接種は信頼できることが大前提であるからだ。