戦国の茶人といえば、千利休、古田織部、小堀遠州、他、何人かか゛いる。茶の湯を政治に取り込んだのは織田信長である。彼は茶会を独占し、手がらを立てた家臣等に茶器を与えたり、茶会を催す資格を与えたりした。戦国時代の大名、武将にとって、茶会はやがて政治的な社交の場となっていく。そうした中で、千利休、古田織部、小堀遠州の茶の大師匠たちが忙しく活躍していく。特にこの三人はそれぞれの茶の湯の芸術を際立出せて、それは今日の茶の湯に受け継がれてゆく。
しかし、この三人の茶人の生き方はそれぞれ、劇的なものである。千利休は秀吉に接近し、茶の師匠であるとともに政治顧問となるほどの地位まで上り詰める。しかし、大徳寺の山門の上階に自分の等身大の木立像が置かれた。この山門は時には朝廷や秀吉も潜るものでもあった。そこを無礼千万であると石田三成らに揚げ足を取られた。そのほか、朝鮮侵攻についての秀吉との齟齬、利休の娘の側室への拒否、利休の茶道具の高額な売り付け等々の理由により、切腹の責めを負うことになった。利休の名望を常々疎ましく思っていた秀吉の側近たちにとって、大徳寺木立像の事件は、利休追い落としの絶好の機会となった。これは利休の油断とあまりにも利休が政治に深入りし過ぎた結果ではなかろうか。
利休の七哲と言われた古田織部はどうか。この人は小大名であった。あの織部焼で有名な茶人である。利休亡き後、秀吉そして関ヶ原合戦後は、徳川家の茶の湯の師匠となった。織部は豊臣家と徳川家とが険悪となると、両者の仲介に努めた。子息をそれぞれの家の小姓にあげた。織部を師匠とする大名の多さに、徳川幕府はやがて織部を危険視する。そんな折、大阪夏の陣の最中、古田織部の陪臣が、家康暗殺の計画に加担したことが露呈する。この結果、古田織部とその子息らに切腹の命がくだった。織部自身は知らなかったようです。が、知らなかったでは済まされないと観念した織部は、一言の弁明もなく処分にしたがった。古田家はお家断絶に追い込まれた。これも織部の油断・慢心と織部が自分の足元をどこに置くべきかを見誤った結果ではなかろうか。
小堀遠州も小大名であった。古田織部を茶の師匠とした。この人は、千利休や古田織部の生きざまをみて、両、茶の湯の師匠の轍を踏むまいとして、茶庭造りや幕府の茶の湯の指導に専念した。大名たちの茶の湯の指導や茶庭造りを最小限にとどめ、政務に深く関わることを戒めた。遠州は、普段は幕府の各地の作事奉行をつとめた。その後、小堀遠州はその文化的教養をかわれて、朝廷との行事にもかかわる京都伏見奉行に抜擢された。権謀術数の限りの戦国時代を潜り抜け、「綺麗寂び」の茶の湯の道を極めた小堀遠州。遠州を主人公にした小説には、「孤蓬のひと」(作者 葉室 麟)がある。今まさに私は、「孤蓬のひと」を読み始めたばかりである。
コロナオミクロン禍にあって、おなじ過ちを繰り返しているお上のコロナ対策。50万といわれる自宅療養とまたしても医療ひっ迫。もうウンザリですネ。自分の身は自分で守るしかない。そう思います。コロナウイルスからなんとしても逃げきらなければならない。ウイルスにおびえて、家にチヂミこんでいる私のなんと滑稽なことか。 ウイルスが笑っているよ人類を 風 鈴
今日はちょうどNHKにて、知恵泉選にて「古田織部」の番組があった。

一度見たことのある映画「関ケ原」をこんどはテレビで見ることができた。いつも思うのですが、石田三成のことを正義のひと、義、忠臣とか清涼の士、清香のひと、股肱の臣とかいろいろと形容されている。そうゆう人がなぜ戦に負けてしまったのだろうか。一般的には小早川秀秋の裏切りにより負けたのだといわれている。しかし、小早川秀秋軍は、裏切りではなく開戦と同時に西軍になだれ込んだものだとする歴史研究者もいるのです。何よりも、家康さんとの人間的スケールの違いではなかったのだろうか。
行政が第5波の教訓を忘れて、再び「自宅療養」はじめようとしている。なぜ、行政はこんな愚策を繰り返すのか。ようは、きわめて安上がりな政策だからだ。「自宅療養」で、ろくな医療も受けられず死んでいくのは個人であって、行政にとって痛くも痒くもない。行政としては
日本の健康保険制度は病気になったら、誰でも
今年一年も「ウイルス」に翻弄された一年でした。 オミクロンジワリヒタヒタドット来る 風 鈴 ワクチンをヒラリサラリと潜り抜け 風 鈴
今年は、私にとっても大きな節目となる一年でした。年初より、義兄の介護をすることになった。また昨年亡くなった義弟の相続手続き、納税手続き等々結構年初からあちこちと走り回った。コロナ禍もあって、手間のかかるなかなか難しい手続きとなってしまった。
このところの日本のコロナ感染者数が急減していることに驚くばかりです。行政は、ワクチンの効果だというが、いや、ウイルスが変異し自滅しだしたという識者もいる。そして、日本は集団免疫を獲得したという意見など、諸説紛々としています。
コロナ禍にあって最近は我が身が絶対に感染してはいけない立場であることを痛感した。それで私は、一層我が家から外に出ることを最低限必要なこと(病院、コンビニ決済、スーパー、家内の義兄の介護、金融機関、役所)に限ってしまった。万一私が、コロナに感染してしまったら、家内の介護と義兄の介護はどうなるのであろうか、濃厚接触者になったら等々、親族の少ない両家は崩壊することでしょう。それを思うと私が絶対に感染してはならないことをさとった次第です。
病院から夫婦ともに重度の糖尿病という得体の知れない病名を付けられた手前、これから、自分と家内の身体こともじっくり考えてみようと思います。目が見えなくなり、耳が聞こえなくなり、認知症状の悪化が目立つようになり、歯が悪くなりるのも、そして心筋梗塞、脳梗塞等も、どうも糖尿病の症状の現れという。糖尿病というから、切迫感がない。いっそのこと「糖血病」といった方が切迫感があると思います。左の表を見ると全身病だな。


我々人類の弱点は、目に見えないものに極めて恐怖を感じることではないでしょうか。
このコロナウイルスが人類の内部分断を図っており、下手をするととんでもないことが起きるような気がします。まあいいか人類78億人。ちと増えすぎたから。それでも美しい地球は残るでしょう。 怖いのはウイルスよりも諍いだ 風 鈴 ウイルスが人類一つになれという 風 鈴
9月に入り、山から赤とんぼもちらほらと、夜になると虫の音も。 しかし、巷は相変わらずのコロナ騒ぎでもちきりだ。行政の最悪の愚策である自宅療養者の飛躍的増加で、いたるところで市中感染が始まった。これで、駅舎、電車内も、コンビニも、スーパーも安全でなくなった。