今日は日本国憲法施行76周年である。ある意味で、これまで生きてきた私の人生そのもの期間でもある。76年間、日本は、戦争のないい時代に生きてきたと思います。日本国憲法に感謝です。
日本国憲法は、日本が、世界に誇れる規範、文化の唯一のものと言っても過言ではないかと私は思っています。ここに日本国憲法前文の一部を抜粋いたします。
「・・・・・・・・・・・。われらは全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ平和のちに生存する権利を有することを確認する。われらはいづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって政治道徳の法則は普遍的なものでありこの法則に従ふことは自国の主権を維持し他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は国家の名誉かけ全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。・・・・・・・・・・・・・・・。」と。そして、第9条第一項(戦争の放棄)へと続くのである。
人類は人類と言われるようになってこのかた戦の絶えることはなかった。
かって、猿人は二足歩行により両手が自由になった。それにより、猿人は、やがて能を徐々に進化させ、簡単な道具を創るようになった。それに伴い猿人の脳はさらに進化していく。そして道具(最初は生産手段としてやがてそれが武器として、人類同士に向けられていく)の生産もさらに進化して行った。こうした繰り返しにより猿人はついに人類となったが、これは人類が生まれながらにして戦をする生き物として運命づけられたことを意味する。こんな生き物はこの地球上で、人類しかいない。
人類は生まれながらにして戦をする生き物として、こんにちもこれからも、生きていかなければならないだろう。こうして人類は戦をする生き物であるけれどもと同時に、人類の脳の進化は、一方で戦の悲惨さも感じ取る生き物(平和な暮らしを求める)として進化をとげていく。だからこれまで人類は生き延びられてきたのであろう。人類と呼ばれるようになってから数百万年、ひたすら戦の歴史を繰り返してきた人類は、ようやく国連憲章なり、日本国憲法なりの平和な道筋を求めるところまでたどり着くことができた。
ところが戦後、アメリカが世界の警察官として、ベトナム戦争、イラク戦争等々、そして今日またプーチンが、世界中がコロナ禍にもかかわらず、ウクライナに侵攻し、世界を大混乱に陥れました。どうやら人類は、「戦争と平和」をたえず繰り返しながら進化していく生き物のようである。人類の運命は、いずれ天変地異によってか、大規模な原発事故ないし大核戦争等によって自滅する可能性すらあると思います。それでもやがて生命の星この地球は、新たな生命の地球史をむかえることでしょう。生命の星地球にとって人類は、恐竜のようにある一時点の生き物のようではないだろうか。